不完全存在の掃き溜め

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空の青さを知った話【ネタバレあり】

※この記事は映画『空の青さを知る人よ』の感想でネタバレがあります。

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きっと誰しも心当たりがあるのではないだろうか

 

なんだってできると思っていた子どもの頃

自分が世界の中心だと信じていたあの頃

そう信じて井戸の中から空を見上げていた

 

だけれでも井戸の中だけでは限界があって

はやく井戸から飛び出したくて

背伸びをして空にを伸ばしていた

 

でもいつからだろう

もう空を見ることさえやめてしまった

 

井戸の外の広さを知って

自分の無力さを知った頃だろうか

井戸の中に水を流し込まれて

自分の世界がわからなくなってしまった頃だろうか

 

正確にはわからないが

それでも空の青さを忘れてしまった現実だけは理解できていた

 

 

 

そんな失った空の青さを思い出すために『空の青さを知る人よ』を見てきました。

天気の子を見に行った時に予告は何度も見てはいたのですが、なかなか時間が取れなかったのと見るか見ないか迷っていたこともあって遅くなりました。

そして、感想なんですが天気の子の時も言いましたが、大人と子ども、現実と夢みたいな物語が大好きな僕にはぶっ刺さりましたし、なんならあの花、ここさけよりも好きでした。

 

冒頭のあおいがイヤホンをつけると環境音が遮断される演出でもう引き込まれあとはもう流されるままでした。

 

この作品の題名にもあるように

 

井の中の蛙大海を知らず されど空の青さを知る」

 

まさにこのことわざ通りの内容だったと思います。

 

大海という現実を知らず、されど空の青さという夢を知る しんの

大海という現実を知らず、そして下を向いていて空の青さも知らない あおい

大海という現実を知り、空の青さという夢を諦めた しんのすけ

大海という現実をしりながらも、空の青さという夢も知っていた あまね

 

こんな4人の物語だったと。

おそらくこれだけだと伝わりきくいであろうあおいとあまねについてもう少し書くと

 

あおいは大海という現実を知らず、ここから飛び出して東京に行くという思い。

しかし、東京に行くという思いは空の青さを知るからではなく、あまねを縛ってしまっているのは自分だという思いから来ているものであり決して上を向いてはいないのです。

あまねは大海という現実を知ってはいるが、空の青さというしんのすけへの思いも知っていた。そして、あまねは空の青さを知るしんのすけが好きだったこともあり自分もしんのすけへの思いを諦めたくないし、なによりしんのすけに諦めてもらいたくなかったのだろう。

 

そして、一番語るべきなのはやはりしんのとしんのすけの対面だろう。

時折見せるしんのすけの真っ直ぐな描写は彼がどんな過程を経て夢を拗らせてしまったのかを考えさせられて、そんなところに過去の自分に夢でぶん殴られて

「将来あんたみたいなおっさんになってもいいかなって信じさせてくれよ」

なんて言われたらもう泣く(セリフは正確じゃないかも)

そして、空の青さを知るしんのが空を駆けて、空の青さを忘れてしまったしんのすけはもう空を飛べなくて。それでも必死に地面を駆けて追いかける姿は本当に良かった。天気の子の須賀さん然り、しんのすけ然り、もう現実を知ってしまって夢を忘れた、諦めた大人が昔の自分、昔の自分と重なる子どもに感化されてもう一度足掻く姿が好きすぎる僕にはとても刺さった。

 

もう文句なしで大好きな話でした。

最後はライブして終わるんかなって思っていたけど、まああれがキレイな終わり方よね。

僕自身は空の青さをとっくの昔に忘れていて、これはどうやっても思い出せなくてもう物語という形でしか知ることのできないものだろう。でも自分には手に入らないものだからこういう系統の物語にこうも心惹かれるんだろう。

 

書きたいことは書いたし短いけどこんなもんかな。

いつもと明らかに文体を変えてみたけどいつものほうが読みやすいって言われたら戻します。今回は空の青さに魅せられたってことで許して。

それでは!

 

p.s.

種パイの演技さすがすぎた